しおです。
数日後に母の命日を迎えます。
私の母は「子宮がん」で55歳で亡くなりました。
その前後も壮絶…ではあったと思いますし、私もその犠牲になった。
そのせいで仲が良かったという訳ではないかった。
家族を犠牲にしてまで母が望んだものが最後まで分からなかった。
それがずーっと悲しくもさみしくて、母の辛さが何だったのか。
もうそのことを話すことも出来ませんが、それでも思い出はある。
母の好きなところを思い出して、嫌な記憶を癒していく。
絵にかいたような家庭的な母
母=ハンドメイド💖 服やバック、お菓子までよく手作りしてくれていました!
キキララの幼稚園バックがお気に入りだったのですが、キャラがパッチワークでぬいつけられていて、いつもお弁当もそれに入れて持っていってた。
北海道だったので冬には手作りのガウン、毛糸の靴下や手袋なども編み物まで完璧でした!
自由研究でもよく母をまねて手作り品を作っていましたので、家庭科で困ることはなかった(笑)
お菓子もクッキーとか一緒に作ってたな~
一緒に作ったり、母が作ったものはおいしいのに…あとからまねてもあの味にならないんですよね。なんでだろう?「母の味」が今も再現できなくて。
でもやっぱり覚えているものですね。
手作りのものって本当にうれしいものです。記憶にもずーっと残る大切なものになる。
ちなみになんでも作れたので、今!教えてほしいことがいっぱいあるのに(´;ω;`)ウゥゥ
美人だった💖
これは本当に感謝しています。
美人なお母さんってお友達のお母さんにもいらしたけど、うちの母もきれいな方だったと思います。
実は父も相当年齢より若く目られるので、良い血筋に恵まれているな~と今私が40歳になって実感いたしました。私自身も自画自賛ですが、マイナス7歳くらいには見られます。
少々ヒアルロン酸とかもやりますが、同年代をみて逆にびっくりします。
私は結婚、出産をしていませんから余計だと思いますが、
もう40歳ともなれば肝っ玉母ちゃんに変貌を遂げている方がほとんどかと思います。
ちなみに…地元のミス〇〇みたいなのも経験していて、私も至りませんがミス〇〇はセミファイナルまで行ったことがあります(笑)
それがきっかけで、モデル業で上京いたしました。
DNAに感謝です、そして父と母が出会ってくれたことに感謝いたします。
思い出つくりには旅行!
日々の何気ないことや作ってもらったものもとてもよく覚えているし、恋しくなる。
父は仕事人間だったから、祖父母の家に行く以外は旅行?といえる感じではなかったかな。
でも家族旅行なんて行きだしたの、家庭崩壊寸前だった時から。
崩壊しそうだからこそ、みんなで何かやるという事大事にしてみてね!
家族旅行は思い出だけじゃなくて、関係修復にも非常に効果的だと私は思いました。
頻繁にはいけなかったけど、旅行前後でそれぞれの話ができるからコミュニケーションも増える。お金かけなくても行けるところあるし、一緒に旅行にはいっておいてください。
ともに過ごす時間は今でも、ものよりもかけがえのない時間です。
皆さんはご家族とは円満な関係でいらっしゃるかと思いますが、
私の母はもうこの世に居ません。
今たくさんの事を教わってください、一緒に過ごしてください。
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