しおです。今日は私の母の話。
以前も書いたけど、母はギャンブル依存症でした。
家中のお金使いまくって、水道光熱費まで払えないほど使い込んでました。
うち北海道だから、冬を越せるか…みたいな心配もしてましたね。
私が中学くらいから、そんな状況になってたんですがそれから何年も。
私が成人した後もさらにエスカレートしていきました。
なぜそうなったのか?なぜそうしないといけなかったのか?
何度話し合っても、黙ったままで何も話さないんですよ。
なんで?素直に謝ることも出来なければ、理由もその時の状況すら語らないまま。
辛いことがあったはずだけど、解決方法が探せないまま。
実家に送り返そうか?離婚でもという話も何度も出ていたんですが、
そんな中!急にがんで余命宣告されまして…
本人はがんになったことすら放置していたんです。
何がそんなに母をそこまでさせたのでしょうか?本当に。
家族間の心の問題は何年かけても、少しづつ寄り添って解決していく。
または、そのまま本人が心閉ざしたまま、最悪な状態になっていく。
些細なコミュニケーションは大事です。
過度な閉鎖的心理状況になればおのずと病気にもなるでしょうね。
でも自分でそんな状況を招いてしまったことに最後まで分かってか?分からんでか?
彼女も最悪な最期を迎えた一人だと思いましたが、それでも「家族」がそばにいただけでも救いだったのではと思います。
突然の余命宣告
いや~余命宣告って。やっぱり最初は急に無になるような感じでした。
本人はどんな思いだったのでしょうか?
ただ、彼女の場合は明らかに異常な両足のむくみ、体調の異常を訴えて病院行きましたが、
もう転移に転移を重ね、子宮がんでしたが、癒着もしている状態で即緊急手術状態でした。
健診で引っかかっていたのもかくして…あとは自力で何とかしようとしていた形跡があり、その時は思わず涙してしまいました。
どんなにつらい思いをさせられても自分の親が死ぬ。というのはなかなかに受け入れがたいものでした。昔の母はハンドメイドで服やお菓子を作ってくれる理想的な母親でした。
その記憶が一気によみがえり、後が長くないなら1カ月でもいいから一緒に居ようと思いました。最後の親孝行のつもりで。
当時の仕事は一番高給でした、だから1カ月くらい休んでもなんとでもなる仕事で、
理解ある職場でしたので、長期休暇がとることができました。
余命宣告=最善を尽くしても生きられる期間=母の場合は6カ月
自分の命が短いと知って、初めて自分で〇〇やりたいとかいうようになりました。
余命宣告後の人とその家族は
日記でもとすすめましたが…やっぱり自分の思いを言葉することが苦手なのか、嫌なのか。
こうなると最後の最後まで何も残らない。
なので、当時上京していた私は帰省して病院にも毎日通っていました。
一番悩んだのは治療をどうするか?
正直何やっても多少の延命にしかならないのと、治療の辛さを目の当たりにして…
本人はあまり苦しみたくないという選択をしました。
家族としては治療を続けたい意向もありましたが、本人の内情は知る由もなく。
ただ苦痛を与えるだけであればと、本人の意を尊重しました。
本当に。がんの治療って…他の病棟に居た方をみて、母があの状態で毎日いて私も耐えれるか分かりませんでした。
自分の命が短いとしって。その後自宅療養をすることになりました。
癒着部分の為の手術入院で、人工肛門になり、慣れない生活が始まりました。
本人は気丈にしていたけど、急激に衰えていく自分には本人自身が一番気づいていただろうに。
そこからは小旅行にも行きました。
運転をして自分で出かけることも出来ました。外出先で具合が悪くなることもありましたが、それが最後の思い出です。
4カ月過ぎたあたりから、やはりつらそうな雰囲気がしてきて、
東京帰ってからも月に数回帰ってましたが、ちょうど妹が帰省中に急変し、結局6カ月もたなかった…
急に食事買えたり、体に良いことしたって。
そりゃ効くわけないよね…体が弱くなったり、機能しなくなると本当に色々制限されるし、
どんどん衰えていく!
こんなことを目の当たりにして、寝ないで働いてるけど、人より3倍食べるけど、健康オタクにもなった。この時、禁煙も完全にできた。
こんなことでも起きないと人って変われないんですね。
2人に1人ががん
って言われてる時代になりました。当時はまだ3人に1人あったのに。
急に増えてるし、それにね、がん保険て日本だけなんだよね。
日本人ってがんになるような環境で生きてるって事も噂では効くんだけど、
食品添加物は特にきをつけたほうが良い。
日本て清潔で基準や決まりがちゃんとしてる=安心って思う人がほとんどだし、私も思ってるし、今でも海外よりマシって思う部分あるんだけど!
日本の巧妙に仕組まれた経済の仕組みと情勢にまで絡んでる事も勉強したら、恐ろしい限りでした。私ももう逃げられないほどの環境下に長年結局はさらしてきたし…一時期絶望してたんですが、でももう40です。これから不具合が起きていくのかもしれないけど!
これからどう生きるかの方が私には重要だし、借金あるし!
健康は大事なんだけど、やりすぎても「🙅!」
結局過敏になりすぎてストレスでノイローゼなる人や他人にまで強要す人になって私みたいに友達なくします(笑)
個人的には健康オタク借金は実は作ったことがあって。
それはマジで私の黒歴史№1…
ただ無駄ではなくて、色々実践と経験は積めた訳で💦とバカポジティブになるしかない。
にしても50%の確率でがんになるかもしれんので、早期発見!!
一応私もさぼってしまうのだけど…がん検診だけは行くようにしてます(笑)
私の母の場合は若干バチが当たったとも思っています。
それでも根気強くもっとコミュニケーションがとれていれば何か変わっていたはず。
どんなに苦しめられても母は母。
母の作る手作り大好きでした。今再現しようと思っても出来ないんです。
そういうのを教えてもらうとかもよいコミュニケーションですよね。
これにも早く気づいていれば。
もう40歳で老眼も始まってしまって(´;ω;`)手仕事しようにも再現できません。
健康とkeep若さについてはこれからもチャレンジしていこう!
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